1612年(慶長17年)、秀吉による「切支丹(キリシタン)禁令」が発令されたことにより、大村藩内は仏法の興隆の地となっていた。その動きの中、1647年(天保4年)真宗専念山正法寺(大村藩)の末寺として、松浦(佐賀)出身の御厨左馬之助/みくりや さまのすけ (釈道夢)により開基された。 道夢は小島(現在地より100m位の地)に仏像を安置し庵を設け、真宗の法を広め庶民の強化に励んだ。その後三世了閑(りょうかん)により、1666年(寛文6年)、現在地に堂を移し、一尺八寸の阿弥陀如来を西本願寺より免許され本堂と庫裏を建立。1683年(天和3年)に「亀水山 萬行寺」と改号されたといわれる。
切支丹興隆の地でもあった大村藩内においての本寺の開基は、厳しい禁教と宗旨改めの世の動きに深く関わりをもっていることは歴史的観点において否定できないとしている。



萬行寺縁起 作者不明           萬行寺の寺紋(上り藤に三ツ星)


■ 萬行寺年表 ■


 

西暦

年号

主なできごと

1647

正保4

萬行寺開基 御厨左馬之助(法名 道夢)
字小嶋に草庵を結ぶ。

1664

寛文4

萬行寺開基 道夢(佐賀の産)没。11月22日 法名釈道夢法師:俗名御厨左馬之助(川棚福浄寺開基の弟)

年代不明

年代不明

順知、二世を継職

1666

寛文6

第三世 了閑(川棚 福浄寺二世相続。引退後萬行寺を転住)
字小嶋にあった草庵を現在の地六屋敷に移し本堂・庫裡を新築。

1683

天和3

了閑没。法名釋了閑法師 俗名 小林七右衛門(肥後出身)。
この年、木仏及び親鸞聖人・太子・七高僧御影ならびに寺号を西本願寺宿如上人より御免。(5月7日)。亀水山萬行寺となる。

年代不明

    

第四世 秀海没(第三世 了閑の実子)

年代不明

    

第五世 瑞應 法名瑞應法師(七ツ釜西福寺より入寺)継職。のちに瑞應、江嶋・善行寺に転住(年代不明)。

1708

宝永5

第六世 諄超没 法名覚慧院諄超法師<<大村郷村記によれば第六世は覚元(第五世瑞應の実子)との記述もある。>>

1711

正徳元年

4月14日東本願寺一如上人より親鸞聖人御影御免。

1723

享保8

第七世 慧叫没 法名釋慧叫法師(4月14日)(大村 正法寺・宗順の実子)

1753

宝暦3

第八世 圓超没 法名覚門院釋圓超法師(1月29日)(長崎 正覚寺の弟)

1772

明和9

第九世 玄信没 法名蓮瑞院釋玄信法師(1月18日)(長崎正覚寺の甥)

1773

安永2

喚鐘鋳造(現存)

1778

天明8

梵鐘鋳造(これは戦時下昭和16年頃軍用に徴用された)

1790

寛政2

第十世 湛瑞没 法名法地院釋湛瑞法師(1月18日) (福田 西光寺、西音の弟)

1803

享和3

第十一世 湛成没 法名聚讃院釋湛成法師(2月29日)(第九世蓮瑞の実子)

1811

文化8

10月25日 第十三世 湛然 住職継職(第十二世 湛快の実子)

1819

文政2

第十二世 湛快没 法名徳永院釋湛快法師(5月9日)(第十一世 湛成の実子)

1819

文政2

第十三世 照信 住職継職。(第十一世 湛成の実子)

1824

文政7

第十三世 照信引退。 法名湛然法師(第十一世 湛成の実孫)この代、宮殿・須彌壇・祖師聖人御厨子・鐘楼堂・金物仏具・出仕喚鐘などを新調。

1861

文久2

この時門徒数478件(大村郷村記)

1866

慶応2

第十三世 照信没 法名深諦院釋善然法師(1月26日)

1871

明治4

ロシアのアレキサンドロヴィッチ親王、軍艦スウェッツラナ号にて来航し萬行寺に遊ぶ。

1889

明治22

第十五世 湛瑞没(時治)法名慈等院釋湛瑞法師(1月10日)坊守 イネ(田崎氏娘)

1898

明治31

庫裡書院側半分を改築(伝→台所側半分はこれより20年ほど前に改築)。

1912

明治45

親鸞聖人六五〇回御遠忌法要を勤修。親鸞聖人見真大師御影が本山から下付される。

1921

大正10

第十六世 照教没 法名現照院釋照教僧都(11月29日)坊守ウラ子病死(高木氏娘) 後坊守リツ(服部氏娘) 

1936

昭和11

鐘楼堂改築。大工 吉川喜造。

1945

昭和20

8月9日長崎に原子爆弾が投下され、臨時避難所であった萬行寺に昼過ぎには重傷被爆者が運び込まれた。
医師 亀井照見(静雄の弟)と何紹経が対応。死者は小島田 馬墓等に埋める。

1949

昭和24

軍用に徴用されてなくなっていた梵鐘・金物仏具・を購入。門徒大いに喜ぶ。

1960

昭和35

第十七世 静雄没 法名大寂院釋静雄僧正(4月12日)坊守千代(三重 正林寺の長女)

1968

昭和43

親鸞聖人七〇〇回忌御遠忌法要を厳修。大谷光紹新門による帰敬式執行(伝えるところでは受式者は500人を超える。)

1976

昭和51

十七世坊守 亀井千代没(1月6日)

1978

昭和53

本堂改築(福岡 大喜工務店)

1979

昭和54

本堂落慶法要(4月)

1980

昭和55

第十九世に廣道就任(2月)

1988

昭和63

第十八世 信之没 法名圓成院釋信之僧正(2月5日)

1989

平成元

同朋大会「内陣改修萬行寺開創300年記念」帰敬式500人

1992

平成4

庫裡屋根替え・内装工事 大工浦馬場幾男
台風19号で鐘楼堂倒壊。(9月28日)

1994

平成6

鐘楼堂再建(福岡 大浦社寺建築社)
落慶法要(4月9日〜10)

1998

平成10

庫裡玄関周辺を修繕。(8月9日)
『蓮如上人五百回忌法要』10月23〜25日(23日歴代住職坊守報徳法要。24日〜25日帰敬式150名)

2003

平成15

石垣大修繕並びに築地塀改修。門徒に対し、本堂改築(昭和54年)以来のお礼状を発行。

2006

平成18

第十八世坊守 亀井孝子没 法名 圓純院釋尼智誓(3月)

2007

平成19

台風によって倒壊した鐘楼堂の下敷きになった梵鐘の損傷がひどいために梵鐘を新調。3月19日落慶式。

2013

平成25

9月 「御遠忌お待ち受け」として帰敬式 3日間で受式者280名

2014

平成26

10月 宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要厳修/住職ならびに坊守継職式 第20世住職に亀井攝(釈大攝)就任 坊守 真歩

2015

平成27

納骨堂建立 庫裏玄関と台所を改修

                              ※『大村郷村記』『萬行寺縁起」を元に作成しました。

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