■ 2008年 7月 ■
「御文って、なあに?」
『御文』は、これ、凡夫往生の鏡なり。
『御文』のうえに法門あるべきように思う人あり。
大きなるあやまりなりと云々。
『蓮如上人一代記聞書』p886
真宗再興の祖と呼ばれる本願寺第8世の蓮如が真宗の肝要を解り易くまとめ、門徒に与えた手紙形式の法語。
大谷派では『おふみ』と呼ばれますが、本願寺派では御文章『ごぶんしょう』とよびます。
後に蓮如の孫である圓如(えんにょ)が、二百数十通の中から80通を選び、五つの章に分け『五帖御文/ごじょうおふみ』として改訂しました。
その五帖のうち1帖目から4帖目には日付があるものを年代順にならべてあり、5帖目には日付が不明なものをまとめてあります。
そのため、4帖目の最後、第15通「大坂建立」は、蓮如上人の真筆としては最後の御文となり、遺言ともいわれています。
その他に、『夏御文(げのおふみ)』、『御俗姓御文(ごぞくしょうおふみ)』があり、それに載りきれなかったものを『帖外御文(じょうがい おふみ)』として網羅しています。
<蓮如上人と門徒>
いつも門徒たちと対座して法を語ったと伝えられる蓮如上人は、親鸞聖人が手紙によって関東の門徒を教化したという先例に倣われ、ことあるごとにこの御文をしたため、門徒に読み聞かせたり、また門弟たちのために書き与えられたと言いわれています。
この時代より、真宗門徒は朝に正信偈・和讃のお勤めを行った後、五帖御文を一帖ずつくり読みする習慣がはじまり、これが真宗の再興に重要な役割を果たしました。
また、このころから能や狂言、猿楽や田楽などの民俗芸能も盛んになり、民衆が勢いをもった時代でもありました。
当時、東洋伝導に訪れたヨーロッパの宣教師が日本を訪れた際、日本人の識字率の高さに驚いたという記述も残されています。これには御文の普及が民衆文化にも大きな影響を与えていたことも事実でしょう。